文部科学省が新しい学習指導要領を導入してから日本でも「探究的な学び」が一層重視されるようになってきました。探究的な学びは、日本の教育システムに新たな風を吹き込み、学生の主体的な学びを促進する重要な取り組み。様々なチャレンジを乗り越えながら、教育現場での実践が進められています。今回は、Glocal Academy 代表理事で文部科学省の委員も務められる岡本尚也氏と、渋谷区の探究「シブヤ未来科」におけるカリキュラム開発や伴走支援にも携わるSTEAM JAPAN編集長の井上が「探究的な学び」をテーマに対談しました。
Glocal Academy 代表理事 岡本 尚也 博士(物理学)
東京大学 先端科学技術研究センター客員上級研究員
鹿児島市教育委員
一般社団法人 次世代教育ネットワーキング機構理事
鹿児島県に生まれる。慶應義塾大学理工学部卒、同理工学研究科修了後、ケンブリッジ大学にて物理学博士号を取得。その後、オックスフォード大学にて日本学修士号を取得。ケンブリッジ大学在学中の研究成果がNature Materials 等、世界トップジャーナルに論文が掲載された。帰国後、2016年より現職。客観的なデータ分析や事例をもとに、最適化された選択や手段を提供し、成長を続ける人や組織の支援を行っている。
井上: 岡本さん、本日はよろしくお願いします。さて、「探究的な学び」がどんどん進んできていますね。今、文部科学省のお仕事や有識者としての活動をされている中で、探究学習やPBL(Project Based Learning)に関する動きについて思われていることなど色々お伺いできたらと思っています。
岡本氏: よろしくお願いします。私の立場は役人ではないので、これは公式見解ではないという前提ですが、私たちが関わっている会議の中では、探究学習を教育の中心に据えるという方針は揺るぎないものです。ただ、学習指導要領が改訂されたにもかかわらず、その浸透が十分ではない現状があります。特に高校教育においては、義務教育である小中学校と比べ、歴史的にも設置主体である各都道府県の裁量が大きいため、文科省の声が届きにくいの部分も多いです。
高校教育においては、各都道府県の慣習や認識に基づく裁量が大きいため、都道府県ごとの教育機会の差を是正するのは容易ではありません。文科省としては、そうした中でも、高校教育における探究的な学びを広め、改善を促進することの重要性を示しています。このように政策という観点で関わりながら、鹿児島を拠点にしながら全国の学校現場や教育委員会らと共に探究的な学びと、個別最適な学びの関係を強化し、より良い教育の機会を提供できるよう、個人として努めているところです。
井上:渋谷区では、午後の時間は全て探究的な学びに時間を充てるなど、振り切った取り組みも始まってきました。一方で東京のような都心部と、地域の差も生まれてきていると感じますが、地方自治体によって教育環境に差があることについてどうお考えですか?例えば、コロナ禍で行われた調査では、ICTの使われ方にも地域格差があったと思います。
岡本氏:そうですね、私も途中まで調査に参加していましたが、コロナ禍のICTの使われ方に関する調査では、やはりより必要性の高いはずの地方部の方がICTを使えていなかったり、経済的に厳しい地域ほど利用が進んでいないことが明らかになりました。経済政策等でも見られるように、意識の高い裕福な地域では積極的に制度を活用している一方で、厳しい地域では現状を受け入れてしまう傾向があり、これまでとは異なる改善方法への意欲が乏しい現状があります。その結果、教育の機会に大きな差が生じていると感じます。学校や自治体の積極的な姿勢によって状況は変えられると思います。
井上: 当時、ICTのハード面の整備が完了した後の3年間で、ICTを活用して探究活動やSTEAM教育を推進することが目標とされていましたね。(ご参考:2020年配信「GIGAスクール構想の実現」とは 56分あたり)ハード面の整備は非常に迅速に進められましたが、その後のソフト面の整備は各地方自治体に任されており、進展が遅れている印象です。国としても、ハード面は整備されたものの、ソフト面には依然として多くの課題が残っているかと思いますが、そのあたりはいかがでしょう。
岡本氏: そうですね。各地域のソフト面の状況を国全体で把握するのは非常に難しいことです。例えば、似たような人口動態を持つ地域でも、都市部に近い場所と離島では内情が全く異なります。各地域の教育委員会が現実をしっかりと把握し、適切に対応することが求められますが、閉じた環境にいると、自分たちの状況を客観的に把握するのが難しくなります。国はそのような状況に対して適切な指針を提示するべきですが、現場からは「うちは他の地域とは違う」といった声が上がることも少なくありません。
探究的な学びについても、「その学校、その生徒だからできる」と言われることがありますが、ここで鍵となるのは、改善への意識があるかどうかです。まず、私も全国の幅広い学校、生徒の現状を日々見ておりますが、キッカケと工夫次第で大きく変わります。そのためには「外の世界を見ること」が非常に重要です。外部とのつながりがなければ、教育に携わる人たちの認識が変わらず、伝統を絶対視しがちで、データが示されても「うちは違う」という議論が繰り返されてしまいます。ソフト面の推進には、学校レベルでのリーダーシップが重要で、特に校長先生の影響力が大きいですね。校長先生の任期を長くし、教育委員会が明確な意思を持って取り組むことが求められます。
井上: そうですね。改革が進んでも、リーダーが変わるとすぐに元に戻ってしまうことはよくあります。また、地方自治体のリーダーシップの有無も大きな影響を与えます。変革に前向きな地域と、従来のやり方を守り続ける地域では、意識の差が非常に大きいと感じます。こうした地域による格差が子どもたちにどのような影響を与えるかを考えると、それをどう埋めていくかが大きな課題ですね。
岡本氏: どの地域であっても、子どもたちには必ずできる力があります。私はよく「期待と機会を与える」という言葉を使いますが、”機会”だけでは不十分で、”期待”がなければ子どもたちは動きません。まずは「この子はできる」と信じてあげることが大切で、そうすることで実際にできるようになるんです。よく「生徒が望んでいない」と言われますが、それは単に期待感が欠けており機会を掴もうとしていない状態です。今の教育現場、特に教員や学校に求められているのは、豊富な教材や動画などのリソースを活用し、生徒たちに見えていない進路や生き方の選択肢を提示することで期待感を醸成し、視野を広げる刺激、機会を与えることが非常に重要だと思います。
井上: 探究学習を導入することには保護者の理解を得られることが多いですが、「それが受験にどう役立つのか?」という疑問が保護者側からよく上がります。日本でも入試制度が変わりつつありますが、探究的な学びと進路選択との関係についてはどうお考えでしょうか。
岡本氏: 高校での探究学習は、自分が何をしたいのかと真剣に向き合い、テーマを自分で決めるところが最も大事なところで、最も難しい部分です。18歳という進路選択が迫られる時期において、その時点で行いたいことを確定させる必要はありませんが、大学や専門学校への進学や就職といったキャリアを築く第一歩を踏み出す前の段階で、本当に自分自身と向き合うための教育は、必ず必要だと思います。この経験をして進路選択をした生徒と、そうでない生徒を見比べると、その成長の違いは歴然としています。大学入試に向かう姿勢はもちろん、大学に入った後も、自分としっかり向き合った経験がある生徒は、その後も成長を続けます。もちろん内容が変わることもありますが、彼らは中長期的に物事を考える力を持っているんです。一方で、従来の勉強ができても、自分と向き合うことができていない生徒は、壁にぶつかりやすいと感じます。
井上: グローバルな視点で見ると、各国が専門分野に進むための準備を若い頃から進めている印象があります。例えば、中高校生がインターンシップを経験し、実社会と自然に交わることで、自分が何をできるのか、どんなロールモデルがいるのかといった視野を広げる取り組みが進んでいますよね。
岡本氏: そうですね。そうした海外の学生には、特定の分野に特化した「尖った」学生が多く見られます。例えば、物理に特化して優れた学生が、語学が苦手というケースもありますが、他の人と協力することでその弱点を補い、逆にその特化した能力がさらに際立つことがあります。私がいたケンブリッジ大学でも、物理が非常に得意だが、他の分野には苦手な部分があるという学生がいましたし、そういった学生が育ちやすい環境でもありました。日本の学生は、全体的にバランスが取れていると感じます。国内の入試では、言語、数学、理科など、すべての科目で高い成果を求められるため、オールラウンダーとして成長する傾向がありますね。
岡本氏: 日本と海外の学生違いは、入試システムも関係していると思います。例えば、日本の大学入試では、誰が採点しても同じ点数になることが求められますが、ケンブリッジ大学では、学部の学生全員が面接を受けることが一般的です。ペーパーテストを通過した後、面接で自分の学びたいことや専門性について教授とディスカッションし、その過程でまだ未熟な部分があっても「この学生は伸びるかもしれない」と判断されると、「僕は合格でもいいと思うな」といった形で合否が決まることがあるんです。
これは私がオックスフォード大学に進学した時の話ですが、私はそれまで物理を専攻していました。一方、オックスフォードの現代日本研究所に入学した他の学生たちは、社会学や歴史学といった分野で優れた成績を収めてきた人ばかりでした。私とは全く異なるバックグラウンドを持つ彼らと一緒になる中で、なぜ自分が合格できたのか不思議に思い、先生にその理由を尋ねました。すると、「君のような人は他にいないからだ」と言われました。つまり、私が参加することで、これまでにない新しい議論が展開されることを期待されていたのです。日本でもこうした多様な評価基準を導入することで、より適切な入試制度を構築できるのではないかと感じます。もちろん、評価基準への理解やバランス感覚は国のよって異なるので、トライアンドエラーを繰り返す必要もあります。
井上: そうですね。面接での評価の仕方など、日本の入試制度にも学ぶべき点は多いと感じます。公平性を重視する日本の入試制度に新しい視点を加え、最適な形に進化させていくことが重要ですね。
井上:実社会と繋がる学びついても重視されてきていますね。私自身も、学生時代に実社会とつながる実践的な学びをおこなってきて、その重要性を肌で感じています。実社会とつながる学びについては、どのように思われていらっしゃいますか。
岡本氏: 教育の役割には、なりたい自己を見つけ、自己実現を促すという重要な部分があると思います。そして、そのためには、生徒たちにいろいろな選択肢を提示することが教育の目的の一つだと考えています。実社会と繋がる学びというと、地域や企業との連携も重要ですが、もう一つ考えなければならないのは、生徒たちが普段は考えもしなかったような、見えていない選択肢をいかに提示し、それと結びつけるかということです。地域との密着は一見良さそうに思えますが、その地域の価値観の中に留まってしまうのは避けたいです。発達段階においては、幅広い視野を持つことが重要で、子どもたちには「こんな生き方もあるんだよ」という、見えていない選択肢を提示したいです。
井上: そうですね。実社会とつながる教育を考えると、一度視野を広げるプロセスが必要だと思うんです。例えば、STEAM JAPANも携わる大田区のプラットフォームでは、企業や団体が連携して活動しているのですが、さらに多くの人々が参加できるプラットフォームにすることや、海外ともつながれるような仕組みにすることで、地域で学びながらも広い視野を持つことが可能になるのではと思っています。そういう取り組みを通じて、大学に入る前に自分の興味や関心を見つけ、その方向性に進む若者が増えてほしいと強く感じています。
岡本氏: その通りです。多くの高校生は、「できるかできないか」を基準に考えがちです。周りに同じ進路を選ぶ人が少ないと、「自分には無理かもしれない」と思って挑戦を避けてしまいます。しかし、本当に重要なのは「やるかやらないか」です。例えば、東大の工学部では女子学生の増加を目指していますが、高校の段階でジェンダーバイアスを感じ、「自分には無理だ」と思い込んでしまうことがあります。これは非常にもったいないことです。若いうちに視野を広げ、挑戦することが大切です。私が鹿児島で高校生国際シンポジウムを粘り強く開催し続けているのも、地元の若者たちにこうした機会を提供したいという思いがあるからです。
井上: 最後に、教育関係の方々、特に先生方に向けて何かメッセージをお願いできますか。
岡本氏: 現代において、教員が何でも知っていることは必ずしも求められていません。むしろ、生徒が抱く疑問に真剣に向き合い、一緒に考える姿勢が求められています。探究学習の際、「教えられない」と言うことがありますが、私が知る世界トップレベルの教授たちでさえ、分からないことに直面した時には「分からない」と率直に言います。時には「教えてほしい」とさえ言われることもあります。未知の状況においては肩書や立場は意味をなくし、協働で取り組む伴走者となります。私自身、高校時代にお世話になった数学の先生も、すべてを理解していたわけではありませんでした。分からない問題に直面した際、先生は誤魔化すことなく「一緒に解こう」と言ってくれ、その経験が本当に楽しかったのを覚えています。探究学習も同様に、世界のトップレベルの研究者であっても、分からないことに向き合い、それを解明しようとし、常に学び続ける姿勢を見せてくれました。それこそが教員にとって最も大切なことだと思います。授業が上手かどうかよりも、生徒と真摯に向き合い、誤魔化さずに対応することが重要なんだと思います。実際、分からないことを探究することこそが本当に重要なことだと思います。