現在、STEAM JAPAN AWARDでは、中高生による社会課題解決のアイデアを表彰する応募を受付中です。本アワードの審査員を務めるのが、公益財団法人 日産財団の久村理事長。今回は審査員として参加する久村さんに、幼少期から現在へとつながるSTEM/STEAMの経験についてお話を伺いました。
幼少期の遊びや、学校での出会い、さらには親の何気ない教育まですべてがつながり、今の活動へと自然と流れてきたような久村理事長の活動。学校の先生との出会いが新たな興味を引き出し、「おもしろい!」を軸に無意識のうちに積み重ねてきた経験が、今の視点や価値観を形作っている。そんな学びの連鎖について、久村さんならではの視点で語っていただきました!
久村春芳氏
(公益財団法人 日産財団 理事長)
日産自動車(株)総合研究所所長、フェロー等を歴任。 無段変速機の変速制御を中心に、登録特許88件。東京工業大学大学院機械工学専攻課程 修了、横浜国立大学大学院工学府システム統合工学専攻博士課程修了 (博士(工学))主な外部団体所属・社外活動として、自動車技術会フェロー、機械学会フェロー、GSA(Global Semiconductor Association)Advisor to BOD
井上: 久村さんご自身がまさにSTEAM人材そのものだと強く感じているのですが、まず初めに久村さんの幼少期からお話を聞かせてください。小さい頃から既に何かを作ることがお好きだったのですか?
久村氏: 幼稚園から小学校低学年の頃までは、正直に言うと「単なるクソガキ」でしたね(笑)。特に理科が好きだったわけでもなく、ただただ遊ぶのが大好きな子どもでした。その頃よく遊んでいたのが、「セドリック」というゴム動力の飛行機です。知らない人も多いかもしれませんが、紙と竹で作るタイプのもので、ラジコンではなく手で飛ばすものです。親に竹を曲げてもらったり、角度を調整したりしながら、広場で飛ばして遊んでいました。どうしたらもっと遠くに、長く飛ばせるかを考えていました。羽の角度を調整したり、ぐるぐる回りながら落ちにくくなるように工夫したりして、試行錯誤を重ねていました。
久村氏: 小学校3年生になるときに、ある女性の先生が赴任してきました。その先生は後に横浜の校長先生になる方だったのですが、当時の私は理科がそんなに得意ではありませんでした。4年生の頃、ある日突然「はい、あなたここで実験しなさい」と先生に言われたんです。具体的には、二酸化マンガンと過酸化水素を使って酸素を発生させるような実験でした。みんなの前で先生の代わりに実験をやることになったのですが、なぜ私が選ばれたのかは未だに謎です(笑)。さらに、先生は「新聞を作りなさい」とか「絵の教室に来なさい」とか、いろいろなことに挑戦させてくれました。実家から通いながら絵の教室にも行きましたが、残念ながら才能がなく、1年ほどで自然消滅しました(笑)。振り返ってみると、この先生が私にさまざまな経験をさせてくれたことが、理科に興味を持つきっかけになったのかもしれません。
久村氏: 小学校4年生くらいから、電気に興味を持ち始めました。当時、近所に廃品回収をしている集落があったんです。そこで仲良くなった人たちから、真空管やトランスといった部品をもらってきて、「何か作ろう!」と思っていました。でも、実際にはうまく活用することはできませんでしたね。当時、アマチュア無線にも興味があったんですが、小学5年生くらいになると受験の準備が始まってしまい、本格的には取り組めませんでした。それでも、時間を見つけて電気に触れる機会を探していました。秋葉原のラジオセンターやラジオデパートには今でもありますが、当時もよく行っていました。ジャンク品や部品を買って、トランジスタなんかも手に入れていましたね。1袋100円とか200円で売られていたので、それを買ってきて、適当に組み合わせて遊んでみる。そんなことを5年生くらいの頃にやり始めました。
井上: 今なら、知りたいことがあればYouTubeで動画を見たり、Googleで検索したりすればすぐに答えが見つかりますよね。でも、当時はそんな便利なツールがなかったと思います。そういう時、どのように情報を集めたり、学んだりしていたのでしょうか?
久村氏:はい、当時はそんな便利なものはありませんでした。おそらく雑誌を買って読んだことはあったかもしれませんが、親も友達も誰も詳しくなかったので、基本的には独学でした。
成績だけでは測れない世界への気づき
久村氏: 6年生になると同時に、転校しました。ちょうど受験の時期だったので、遊んでいる場合ではなく、電気やものづくりからは少し距離を置くことになりました。ただ、そんな中で刺激を受ける出来事がありました。転校先の学校で、同じ学年の生徒がアマチュア無線の2級免許に合格したんです。これは当時でも相当早いことで、地域や学校のニュースになるほどでした。自分はまだジャンク品を買ってちょこちょこ遊んでいるレベルだったので、そのニュースを聞いて「すごい人がいるんだな」と驚きました。それをきっかけに、より本格的にアマチュア無線に興味を持つようになり、中学・高校では物理部アマチュア無線班に所属。送受信機を作ったり、物理班と一緒に活動したりしながら、どんどん深みにハマっていきました。ただ、高校の途中でやめてしまったんですけどね。
井上:なるほど。同じ学年にそんなすごい子がいたことで、少なからず刺激を受けた部分もあったのではないかと思うのですが、どうでしょうか?
久村氏:ちょっと偉そうに聞こえるかもしれませんが(笑)、私はそれほど勉強しなくても学校の成績は悪くなかったんです。だいたい3番くらいには入っていました。でも、あのアマチュア無線の2級を取った子は、別に成績が特別良いわけではなかったんですよね。それなのに、自分には全然敵わない。正直、衝撃でした。「成績が良い=すごい」わけじゃないんだ、と。この出来事を通じて、学校の成績だけで評価される世界とは別の価値基準があることに気づかされました。世の中には「勉強ができる」という軸とはまったく違う世界が存在していて、しかも、それを極めている人がいる。「自分はこんなに頑張っているのに、あの子はもっと進んでいる…」と気づいたときのショックは大きかったですね。これは、ものの見方を根本的に変えるきっかけになりました。
久村氏:高校時代は、特に「これをやりたい!」と強く思っていたわけではなかったですね。極端に言うと、「なんとなく好きだな」と思うことを、自然とやっていただけかもしれません。それが結果的に続いていた、という感じです。やっていて楽しい、面白いとは思っていましたが、それだけでは説明しきれないような感覚でした。自分で何かを決めて進んだというよりも、「面白そうだからやってみる」ことの積み重ねだったのかもしれませんね。
大学では、もともと電気・電子系を第一志望にしていたのですが、試験に落ちてしまい、第二志望の機械学科に進むことになりました。ただ、自分の中では「電気も電子も機械も、なんでも面白ければいい」と思っていたので、特にこだわりはなかったですね。結局、機械系を選びながらも、幅広く興味を持ち続けていました。大学に入ってからたまたま友達に誘われてヨット部に入ることになりました。その友達が葉山で活動しているローカルクラブに所属していて、「来てみないか」と声をかけてくれたんです。最初は軽い気持ちで行ったのですが、気づけばハマっていました。大学3-4年生の頃には、大会にも出場するほどになっていましたね。
ヨットに夢中になりながらも、「やっぱり機械と電気は好きだな」と感じることが多く、就職を意識する頃にはその分野で進もうと考えていました。ちょうど大学院に進むタイミングで、日産が奨学金制度を実施していたので、「受けてみるか」と軽い気持ちで応募しました。すると、なんと受かってしまったんです。日産の面接では、面接官に「なんで君はそんなに黒いんだ?」と聞かれました。当時、ヨットの春合宿の後だったので、日焼けで真っ黒になっていたんです(笑)。それで「ヨット部にいて…」と話し始めたら、結局、面接の大半はヨットの話で終わりました。そして、気づいたら「試験に受かった」と言われていて、「え、そうなんだ!」という感じで決まってしまったんです。
久村氏:日産の奨学金を受けながら、「車の開発でもやろうかな」と考えてはいたのですが、それとは別にヨットの設計をすることになりました。当時、ちょうどチームの目標として「全日本チャンピオンを取る」という話が持ち上がり、自分もそのプロジェクトに関わることになったんです。チームの中で「お前、1番理屈っぽいから」という理由で、船のアレンジメントを担当することになりました。基本的な設計はルールで決められていたのですが、どの部品をどこに配置するか、どんなコンセプトで設計するか、どのパーツ を採用するかといったシステム設計はルールの範囲の中で自由なので、それを任されたんです。このプロジェクトは、大学院の1年から2年にかけて進めていきました。そして、その設計を基に作られた船に、チームの先輩が乗り、見事に全日本チャンピオンを獲得。自分が関わった設計が形になり、結果に結びついたことは、大きな達成感につながりました。
ヨットの設計を経験したことで、「システム設計」という視点を持つようになりました。結果的に、車の開発も同じような考え方が求められることに気づき、「車も面白いな」と思うようになりました。研究所に入った後もしばらくは、ヨットを続けながら車の仕事をしていて、「やっていることの本質は意外と似ているな」と感じる場面が多かったですね。
船の操縦と車の運転は、どちらも「動くものをコントロールする」という点で似ていました。そういった経験を積むうちに、車に対してもより深く興味を持つようになりました。
久村氏:研究所に入ってからは、車の部品開発にも携わりました。最初はトランスミッションを担当し、特許も数多く取得しました。でも、ある程度やり切ってしまうと、「次に何をすればいいんだ?」と感じるようになってしまったんです。CVT(無段変速機)も2世代分くらい開発して、「もうこれ以上、新しいものを作る余地がないかもしれない」と思ったとき、少し退屈さを感じるようになりました。
そんなとき、上司から「じゃあ、お前、次はエンジンを見ろ」と言われました。機械系の知識を生かしながらエンジンの開発にも携わることになり、その後も「今度は電動系を見ろ」「バッテリーを見ろ」と次々に新しい領域を任されるようになりました。正直なところ、これらの仕事は自分から「やりたい!」と思って始めたわけではありませんでした。でも、周りから「これをやれ」と言われたら、「あ、面白そうじゃん」と思って取り組んでみる。その積み重ねが、結果的に幅広い知識と経験につながっていったんです。もしかすると、上司はそれを見越して仕事を振っていたのかもしれませんね。
井上:「やったことがないからやらない」ではなく「面白そう」と思って取り組んでみる、とても大事ですよね。新しいことに挑戦する時、拒否するよりも「好奇心」が先にくるのは、まさにSTEAM人材の特徴だな、と感じています。
久村氏:「やったことがないからできません」という考え方は、私にはまったくありませんでした。でも、今の時代はそういう発想をする人が多い気がします。特に、専門性がある人たちは、「自分は◯◯の専門だから、それ以外のことはできません」と線を引いてしまいがちです。もちろん専門性は大切ですが、それだけにこだわってしまうと、可能性を狭めてしまうこともある。だからこそ、「やったことがないからこそ面白い」というマインドを持ち続けることが大事なんじゃないかなと思いますね。
久村氏: 私が2005年に「これからの自動車は電動化と知能化だ」と言い始めた後、研究の方向性を大きくシフトすることになりました。でも、その当時は開発部隊にはまったく受け入れられなかったですね。「何言ってるんだ、お前?」みたいな反応ばかりでした。電動化はこれまでずっと携わってきたトランスミッションの開発とはまったく別の話で、むしろ、電気自動車になればトランスミッションが不要になるという意味では、今まで自分が積み上げてきたものを“なくす”ようなものです。ただ、そこでも「今までの自分の仕事を否定してしまう」とは思わなかったんですよね。新しい技術にシフトすることは、決して過去の否定ではなく、単に「面白いことをやる」ことの延長だったんです。もちろん、これまでの経験が活かせる部分はありましたが、基本的には「これまでの継続性」にこだわる必要はないと思っていました。結局、やってきたことは後になってつながっていくものです。でも、その時々では、「面白いと思うことをやる」ことが一番の判断基準になっていましたね。
井上:「今までのスタイルを変えたくない」「やってきたことを手放すのが怖い」と思う人は多いですよね。「これまでずっとこのやり方でやってきたから、変えたくない」という考え方になりがちの方もまだまだ多いかもしれません。
久村氏:正直、私は全然そういう感覚がわからないんです。何かを「守る」ことにこだわると、新しいものが見えなくなってしまう。それって、極端に言えば「もうやることがない」ってことなんですよね。自分にとって、守ることが目的になってしまったら、何の面白さもない。もちろん、自分がやらなくても、誰かがその分野を掘り下げていくことはあるでしょう。でも、自分自身が「もうやることがない」と思ったら、そこに留まる理由はない。むしろ、新しいことに挑戦したほうが、ずっと面白いはずなんです。その積み重ねが、結果的に今につながっているんだと思います。
井上:「面白いか、面白くないか」、 それが大事な判断基準であることが伝わってきました。STEAM教育の文脈でも「ワクワク」が大事と考えていますが、まさにその「ワクワク」に正直に突き詰めてこられたんですね。
久村さんの頭の中は、常に新しいアイデアで溢れているように感じるのですが、実際のところはどうなのでしょうか?
久村氏:そんなに「天才発明家」みたいな感じではないですね(笑)。特許はたくさん持っていますが、どれも「0から突然ひらめいた!」というものではなく、普通に研究や開発を進めていく中で、「こうした方がいいんじゃない?」と積み重ねてきたものが形になっただけなんです。「もっとこうすればいいのに」という考えを特許として残していったというだけで、特別な発明家のようなものではないですね。頭の中で一気にアイデアが爆発して「これだ!」と生まれるタイプではなく、日々の積み重ねの中で生まれたものが形になっているんです。
井上:久村さんにとって「STEAM教育」とはどのようなものでしょうか?「そもそも分けて考えたことすらない」という感覚に近いのかもしれないですが、どういうふうにSTEAMを捉えているのか、ぜひお聞きしたいです。
久村氏:世の中のあらゆるものは、システムで成り立っていると考えています。STEAMも、そのシステムを構成する重要な要素の一つとして位置づけられるのではないでしょうか。私は昔から同じことを言っているかもしれませんが、結局、あらゆるものの仕組みを理解することが大切だと思っています。だからこそ、システムを理解するためにSTEAMは非常に重要な役割を果たします。世の中のあらゆる仕組みは、相互につながっており、それを解き明かしていくための知識が必要です。その中でSTEMは、現代のシステムを理解するための重要な要素なのではないでしょうか。理系的なSTEM(Science, Technology, Engineering, Mathematics)の視点も大事ですが、アート(A:Arts) の要素も非常に重要です。
井上:ちなみに、個人的にとても興味があるのですが、久村理事長にとって、STEAMの「A(Arts)」はどのような意味を持つものだと考えていますか?
久村氏:まだ完全には理解しきれていない部分もありますが、「Arts(A)」には、システムに入るためのエントリーポイントとしての役割があるのではないかと考えています。例えば、「綺麗だ」「かっこいい」「素晴らしい」といった感覚的な魅力が、複雑なものへの入り口になり得る。ピカソの絵もその一例です。一見すると普通の絵に見えても、よく見ると細かい要素が絡み合っていて、10分ほどじっくり見ないとその全貌がわからない。こうした「時間をかけて発見する」プロセス自体が、複雑性への興味を引く要素になるのではないかと思います。
アートは、基本的には「人工物(Artificial)」です。これまで私は自然科学の領域で生きてきました。アマチュア無線、機械、ヨットなど、すべて自然科学の延長線上にあり、物理法則に支配されるものです。マクスウェルの電磁気学やニュートン力学といった、神が作ったルール(自然法則)の中で動く世界にいました。しかし、ソフトウェアの時代になると、OSもアプリケーションも、すべて「人工物」です。ここには物理法則ではなく、人間が決めたルールが支配する世界が広がっています。アートは、そうした「人間が作り出したシステム」を理解する上で、非常に重要な要素なのではないかと思います。現在、我々は人工物の時代に生きています。しかし、人間の脳は自然の法則には適応していても、「人工物を理解する能力」はまだ十分に発達していない。だからこそ、アートをエントリーポイントとして、人工物を理解することにつながるのではないでしょうか。
井上:現在、STEAM JAPAN AWARDの応募期間中で、すでに多くの学生から応募が集まっています。もし可能であれば、これから挑戦する学生たちへメッセージをいただけますか?
久村氏:実は、私はこれまで会社の中で「アイデアコンテスト」のようなものを長年主催してきました。研究所の所長をしていた頃も、社員にプロポーザル(提案書)を書かせるような取り組みをずっと続けていました。つまり、「アイデアを出し、それを形にする」ことに何十年も関わってきたわけです。日本の問題のひとつは、「提案する力」が鍛えられていないことだと思います。アイデアを出しても、それを形にする訓練を受けていない。だからこそ、「どうしてダメなんだろう?」「なぜこうなってしまったんだろう?」と考えながら、試行錯誤を繰り返すことが大事なんです。どこでやっても、100のアイデアのうち99はゴミです。でも、それでいいんです。「ダメなアイデアを大量に出し、その中から光るものを見つける」ことが重要なんです。一方で、提案を作ることになれている研究所の人間に「頼むから出してくれ」と言って無理やりアイデアを出させたら、それが金賞銀賞になりました。つまり、良い提案を作るのには鍛えられていることも大変重要なんです。
イノベーションを起こすには、「なぜやるのか(Why)」「何をするのか(What)」「どうやって実現するのか(How)」の3つが揃っていなければなりません。ただ「こんなことをやりたい!」では、誰も納得しません。提案を形にするためには、この3つを意識することが大切です。何かを提案する際、「やったことがないからできない」と言ってしまう人が多い。でも、誰だって最初はやったことがないんです。新しいことに挑戦するためには、「とにかくやってみる」「訓練を積み重ねる」ことが必要です。
だからこそ、STEAM JAPAN AWARDに応募する学生の皆さんには、「とにかくやってみること」を大切にしてほしいと思います。失敗しても構いません。アイデアが形にならなくても大丈夫です。試行錯誤のプロセスを通して、「考え抜く力」「提案する力」を鍛えてください。そうすることで、将来必ずイノベーションを生み出す力につながっていきます。
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今回のインタビューで久村理事長が伝えてくれたのは、「やったことがないからできない」ではなく、まずはやってみることの大切さ。失敗を恐れず、試行錯誤を重ねることで、新しい発見やイノベーションが生まれてきます。未来を切り拓くのは、「面白い!」と思うことにどれだけ本気で向き合えるか。その姿勢こそが、新たな可能性への扉を開く鍵になるのかもしれません!
STEAM JAPAN AWARDへの応募はこちらから!:https://steam-japan.com/award/
応募締め切り:2025年2月28日まで