外務省現役外交官 織田健太郎氏特別オンラインインタビュー『ダイバシティー社会における教育についてーインド編ー』

昨年から、インドに赴任されている外務省 在インド日本国大使館参事官 織田健太郎氏に、ダイバーシティが溢れているインドの教育の現状と、親としてまた、一人の外交官としての日本の教育についてお話を伺いました。

リスクテイカーになることを後押しする教育

(STEAM JAPAN編集長・井上  ※以下、井上表記)
織田さんのSNSでの発信でインドの教育について、さらに「リスクテイカーになろう」といったマインドの重要性を書かれており非常に共感を持ち、インタビューをさせていただきたいとご連絡をいたしました。まずはじめに、織田さんのお子さんがインドで教育を受けている経緯や、そこで感じたことをまずは教えてください。


織田氏:昨年の夏に赴任が決まり、インドに来てまもなく1年。父子赴任をしています。妻が幼少期にブリティッシュスクールに通っていた経験や家族のサポートなどのバックグラウンドがあり、そして何より小3の娘が「海外の学校に行ってみたい」という自身の希望により、今はインドのブリティッシュスクールに通わせています。イギリス教育の伝統があるこの学校には、約8割が現地インドの子どもたちで、他にも駐在員などの子どもたちが通っています。

ブリティッシュ系のスクールですので、一概に「インドの教育」という言い方はできませんが、インドでの娘の学校生活の中で日本の教育との違いを感じたことがいくつかあります。 
特に、前学期の娘の通知表に書かれていた先生からの評価に、驚かされました。

「周りのことを気にしすぎるあまり、自分だけ違うことをすること、みんなの前で発表したりすることに消極的である。お子さんがリスクテイカーになることを後押しするので、親もサポートをしてください」と書かれていました。リスクテイキングという概念を捉えている教育です。リスクをとって、子どもの個性を出すことを重視している教育方針に気づかされました。

子どもが他人と違うことをする時のリスクをリスクと思わずに、「他人と違うことは特別なことではない」「それぞれみんなが違うのは普通のこと」「自分はできるという自信を持たせること」が大切だと改めて気づかされました。

インドの教育システム、日本との違い

井上:なるほどです・・・!日本だとどうしても「みんな同じでみんないい」といった風潮がベースにあります。「リスクテイカーになろう」こうした教育がまさに今の日本でも必要ですよね。
インドの公教育のシステムや、日本との違いについてもお伺いできますか?

織田氏:インドの公教育の教育システム制度自体は日本と似ています。州により多少の修学年数に違いはありますが、義務教育は8年あります*。その後全国共通の試験を受け、進学。さらに2年勉強して、全国共通の試験を受けます。その後、受験戦争と言われる大学受験となります。教育制度は5,3,2,2制です。詰め込み教育の部分もあります。( 外務省「世界の学校を見てみよう」サイト参照 )

しかし、日本と大きく違うのはダイバーシティーが非常にあることです。また国内でも多数言語が飛び交っていますし、食べるものもベジタリアンやヴィーガンがいたり給食の献立一つをとっても大変です。カースト制度と言うインド特有の社会階層も関係しているのかもしれませんが、教育システムはダイバーシティーを前提にしなければなりたたず、インド人はそのような環境で育つので多様な人たちのマネージメントが得意になるといいます。グーグル、マイクロソフトなど世界に名だたる企業にインド人経営者が多いことも納得ができます。
ダイバーシティーがあまりない日本は、一から丁寧に物事を説明するということを省略し、相手も同じように発想するから言わなくてもわかるだろうという均質性に甘えてしまう傾向があるので、海外の国々と比べると、無言のコミュニケーション(阿吽とか以心伝心)とか無言の規範の縛りがとても強い国かもしれません。

インドをはじめとする海外では、地方によっても規範や個人の社会的背景、言語が違うので、コミュニケーションが複雑です。そのため、相手に説明する、伝えるということがとても重要になります。相手が理解するまで伝えなければ秩序も守られない部分もありますから。

日本人のコミュニケーションは「話の受け手に責任をおしつけるコミュニケーション」とも言えるでしょう。例えば、話が理解できないと「私の理解力が足りず・・・」なんていう言葉を言ったりもしますよね。受け手責任とも言い換えられます。一方で、ダイバーシティの文化の中では、「説明する側がコミュニケーションの全責任を負うもの」とされている。要は、説明者責任、が基本です

インドや他国では、『伝える』『表現する』ということはとても重要なので、自然と幼少期から養われてきているのかもしれません。文化的・社会的背景も様々な社会で生活する上で欠かせないスキルだと感じました。『伝える』ことに対しての価値がすごく高いと感じます。

日本人の良さももちろんあると思います。理解力がとても高い点です。物事を理解してそこから形にする力はとても優れていると思います。しかし、その過程を説明するのが苦手な人が多いと思います。インドも含め欧米の教育は、このアウトプットに力点を置いて、重視しています。教育においてはどちらも必要ですよね。

昨年、娘が通い始めた頃、コンピューターの授業の中で、コンピューターが何で作られているか、そしてまたその歴史を調べて発表するという宿題がありました。クラスの子どもと協力して考えて、Power Point で資料を作成して発表するものでした。英語もまだままならない中で、さらに小3の娘はPower Pointを使ったこともなかったので、この宿題は苦戦していたのを覚えています。

しかし、自分で調べる、グループワークをする(みんなで協力する)、発表する(自分達の考えをまとめて、相手に伝えていく)、つくっていく、という教育方針に、とても刺激を受けていました。普段の宿題も、暗記型よりも発表型の方が多いです。これは、まさに説明するということの練習だとも思います。その際のツールとして英語やIT技術を活用していくという教育です。

「自分の表現」をより自由に

井上:他国の最新の教育を見ていても、まさに「発表型」、自分達で表現する・クリエイトしていく宿題への移行をとても感じています。協力しあって何かを形にする、そしてそれを「伝えていく」「表現していく」というのは、本当に数をこなしていった方がどんどん上手くなる。重要ですよね。そのほか、違いがあるなと思うところはありますか?

織田氏:もちろん、若年人口が多く受験戦争が苛烈なインドでも「詰め込み教育」はあり、フェアネスを維持する観点から点数で評価される世界はある意味日本より厳しいところはあります。その点、教科書という基本に忠実な教育の側面もインドにはあります。一方、オーラルコミュニケーション(※)に関しては、幼少期から自分の意思表示を行うこと、他者に埋没しないように自己主張を行う癖はついていきます。(編集部注:「聴く」や「話す」などの口頭によるコミュニケーション)

また、日本は、子どもの教育には、「しつけ」が必要という概念が大きいと思います。本来、子供は好奇心に任せていろいろなことを試したり、いたずらをしたりしながら学んでいくものですが、日本では「しつけ」の名のもとに、「これはやっても良い」と言われたこと以外は、子供は「余計なことをしない」のが良いとされる風潮があるかもしれません。良い大人としての基本を徹底的に教えること、それが日本のしつけの良いところでもあり、短所にもなりえます。

インドの家庭教育は、日本とは違うように感じています。幼い子どもも一人の人格として尊重している、「子どもへのリスペクト」がそこにはあります。日本の基準からすると、どちらかと言うと、厳しくなく、甘やかす傾向があると感じます。基本的に子どもがしたいようにやらせたらいいという考えです。子どもたちが自分を表現するということに対して自由にさせているように思います。


チャンスには必ずリスクが伴う

井上:どちらが良し悪しではもちろんなく、という注釈いただいた通りとは思いますが、前の質問の答えからも出てきている「表現する」というのは、「自由」ととても相性が良いですよね。STEAM教育でも、「子どもも大人も対等で、仲間である」といった文脈をよく伝えています。
色々話をお伺いしていて、今外務省でご活躍されている織田さんご自身は、どのような教育を受けてこられてきたのかがとても気になりました。そしてご自身の経験から(日本の)教育に対してもっとこうなればと思うところがあればぜひ教えてください。

織田氏:私自身、親の仕事の関係で子ども時代は転校ばかりでした。2~3年ごとという感じで、常に転校生という状態でしたので、常に、何か「人と違う」という意識がありました。こうした経験により、「人とは違う」という意識を違和感なく持ち、生きていける感覚になったのかもしれません。また、3~4歳のころに親の仕事の都合でアメリカの幼稚園に行っていたんですね。その後日本の幼稚園に移動して、いろんなことがとても不思議だったことを覚えています。例えば、今おもちゃで遊んでいて集中しているのに、決まった時間になると突然おもちゃを取り上げられ、みんなと同じことをさせられる。なんでなんだろう?と子ども心にとても不思議で、カルチャーショックを受けましたことをおぼろげに覚えています。

日本だとそのような環境、感覚に置かれることは少ないと思います。インドのようなダイバーシティーの溢れた国にいると、みんながそれぞれ違うからみんな違うという意識が普通にあります。そこで生きていく、生活していく中では、人と違うこと、みんなと違うことをするのが普通でした。

日本は、他人と違うことをすることがなかなか認められにくい社会だと思います。しかし、日本社会でも明治維新や戦後のイノベーションでは、人と違うことができる人が引っ張ってきました自分は他人にどう思われようが「この道でがんばる」というリスクテイクをした人が成功し、社会を育ててきたはずなのです。ところが繁栄を達成してしまった今はどうでしょう。じりじりと目減りしていく豊かさにしがみつくような「安定」を皆が求め、教育そのものがリスクを回避して安定を得るための手段になっているようにも見えます。

「ゼロ・リスク」という言葉がポジティブな響きをもつ雰囲気になっていますが、これは恐ろしい言葉です。チャンスには必ずリスクが伴います。成功した人はどこかで必ずチャンスをつかむためにリスクをとっています。リスクの取り方を教育が教えなければ、我々の子供達は将来どのように成功のチャンスをつかむことができるようになるのでしょう。リスクがないということはチャンスもないということです。ゼロ・リスク社会を追求するあまり、ゼロ・チャンス社会を作り出している大人がいるとすれば、これほど社会にとって大きなリスクはありません。

違いを楽しみ、新しいことにチャレンジする

井上:本当にそうですね。とても共感します。今、特に子どもと触れ合っている時間が長いのは「先生方」だと思いますが、そうした日本の教育現場で頑張っていらっしゃる先生方に伝えたいメッセージはありますか? 

織田氏:今先生方は大変お忙しいと聞いていますし、私の方で何かいうのはおこがましいのですが、しいていうとすれば、できれば今よりもう少し、子どもが自由に表現する機会を積極的に作ってほしいです。子どもが「自分で説明する」ことを先生たちが丁寧に見る機会や、子どもの「説明する能力を鍛える」時間に注力してほしいです。人と違うことや、新しいことにチャレンジすることを、もっと褒めてあげてほしいですね。

 また、「今日はちょっとみんなと違うことを探してやってみましょう」というようなアイデアの独自性を競うような時間を設けて自由に発想させるなど「違いを楽しむ」時間をつくったり、子どもの表現する(アウトプットする)ことをサポートしたり。子どもも先生方も楽しめる時間が増えていくと嬉しいなと思います。

 さて、最後に、シャイで日本の学校でもほとんど手を挙げて発言したことがない娘ですが、最近少し変化がありました。半年前まで、もっとリスクテイカーになりなさいと学校から言われていたのですが、英語もまだ中途半端にしか話せないのに、8月に学校の生徒会に立候補して、選挙で副会長に当選しました。演説も英語で何を言えば良いのか、ポスターには何を書いたらよいかなど四苦八苦しながら頑張っていました。学校の素晴らしい教育とインドの素敵な友達の影響もあり、ちゃんとリスクテイカーに成長している姿にはすこしホロリとさせられました。親バカで恐縮ですが、意外と意識すれば短期に効果が出るのかもしれない一つの例として紹介しておきます。

<STEAM JAPAN編集部より(一言後記)>

織田さんのお話から、リスクテイカーになろうというお話や「話の受け手に責任をおしつけるコミュニケーション」とその逆の視点の捉え方などが、とても印象的でした。コミュニケーション能力を鍛える上で重視するポイントや教育の方向性が日本とは違うこと。その上でどういう形で良いところを取り入れていくか、そこもぜひこれからSTEAM JAPANも取り組んでいきたいと心から思いました。

織田さん、誠に有難うございました!