「世の中を変えていく、あたりまえの教育としてのSTEAM」株式会社ベネッセホールディングス 取締役 福武英明氏

2022.03.17│STEAMレポート

ベネッセホールディングス取締役、福武財団の代表理事として、子どもの教育やアート事業に携わる福武英明さん。現在、家族と暮らしているニュージーランドの教育事情や、民間教育のトップランナーを走り続けてきたベネッセホールディングスが目指すこれからの教育について、STEAM教育をキーワードに、お話を伺いました。

福武 英明 (Hideaki Fukutake)氏 プロフィール

(株)ベネッセホールディングス 取締役。(公財)福武財団 代表理事(副理事長)
株式会社キーエンス、株式会社エス・エム・エスを経て、ニュージーランドにてefu Investment Ltdの設立。Kings Plant Barn、Consult Recruitment、Hulbert House等、複数の企業を現地で経営。2020年Still Ltdを創業し、様々な事業やイニシアティブを通して、世代を超えて残る新しい文化を興す活動に取り組む。また福武財団の代表理事として、直島を中心に瀬戸内海の島々において現代アートや建築、デザインを通したコミュニティ創りや芸術文化活動を展開中。

子どもたちの可能性を広げる、 大きなものの見方としてのSTEAM教育。

近年注目を集めているSTEAM教育の重要性については、もちろん個人的にも感じています。今の時代でいえば、たとえば「プログラミングを学んだ方がいい」などがわかりやすい事例ですよね。そう思う一方で、ベネッセがこれまでに提供し続けてきた、いわゆるトラディショナルな教育と STEAM教育とを並べて考えてみたとき 、 実はSTEAM教育は何か「特別な教育」というよりも、子どもたちが本来持っている可能性を広げるための、大きなものの見方であると思うんです。

現在ニュージーランドで暮らしているのですが、幼稚園で日本の折り紙を教えたことがありました。みなさんとても興味を持ってくれたのですが、面白いなと思ったのが折り方を教えたその後です。子どもたちは、僕の作った鶴を分解し始めたり、折り紙を丸めたり、ちぎって切り絵を始めたり……。もしここが日本なら「一緒に折ってみましょう」となるような場面で、ニュージーランドの教育現場の“ものの見方の自由さ”を受け入れる環境を実感した出来事でした。僕らは知らず知らずに常識を当てはめていることが多いかもしれないと、気付かされたんです。

ものの見方を変えるときは、相当強いファクトがあったりロジックがないと、人の考え方はなかなか動かすことはできません。ですから、STEAM教育というアプローチにより、子どもの可能性や、ものの見方を変えていくというのは、腑に落ちるんです。

ほかにも、良い悪いではないのですが、ニュージーランドの教育でよく驚かれるのが小学校に教科書がないことです。算数が得意な子と国語が得意な子で、プリントが異なるんですよね。それによって何が起こるかというと、得意な教科はどんどん進めていくことができ、苦手なものは少しずつステップアップすることが可能になるんです。そこに大きな発想があるとしたら、ボトムを上げていくよりもトップをより伸ばしていくということ。どちらがいいのかは、その時代の流れにもよるとは思うのですが、大きく引いて世の中を見たときに、やはり得意な人が得意なことやっている方がうまく回ることもたくさんあります。全体をボトムラインで合わせていくことが、時にはクリエイティビティを阻害したり、得意なものを押さえ込んでしまいかねないのかもしれません。特に若いうちはそうだと思います。

福武家の「褒めすぎない」子育ては、 天井を作らず、可能性を広げる一助に。

子どもは3人いますが、子育てで意識しているのは、あまり褒めすぎないということ。もともとは褒めていましたし、実際、褒めるほうが楽ですし、「パパ好き」って言われるので嬉しいのですが。でも、あるとき「あれっ?」と思ったんです。褒めるということは、たぶん自分自身の常識の範囲内でジャッジしていて、無意識に自分の常識の範囲内でうまくできたってことに対する評価しているのではないかと。そうすると、子どもたちは僕以上にはならないし、僕の感覚以上にはズレてこない。なぜそんな風に思ったのかというときっかけは良く分からないのですが、ひょっとしたら日頃から、自由な発想のもとに表現されるアートに触れてきたということがあるのかもしれません。アートそのものに触れることに関して、子どもたちが実際にどのような気づきを得るかはわかりませんが、親として大切にしようと思っています。

ところでニュージーランドには遊園地が1つしかありません。そのせいか、日本に行く度に子どもたちは嬉々として、いろいろなところに遊びに出かけるんですよね。例えばショッピングモールでは、信じられないほど楽しそうに時間を過ごしています。ちなみに、公園はたくさんあり、どれもとても綺麗で手入れもされていて広い。ただ、遊具もそれほど無いので、どう遊んだら良いか最初は子どもたちも戸惑っていました。しかし1日中ブランコをし続けるわけにもいかないので、子どもたちが自分で考えて遊びをクリエイトし始めたんですよね。そこで気づいたことは、 何かしらその本人の能力を引き出すための 、 自由な余白という 刺激は必要なのかな、ということでした。だからと言って、何もない場所でないとSTEAM的な発想が生まれないということではありませんが。環境を変化させてみることで、よりブーストされるようなイメージですね。親は、子どもにとって予測できないような、さまざまな環境を与えてあげるということも、大切なことかもしれません。

STEAMのなかでの「A」の役割。

STEAMの「A(=アート)」は、いろいろな見方ができるのかなと思っていますが、もっともオーソドックスな考えかたのひとつは、きっかけをつくるための「A」ですね。一般的に「 デザイン 」 と 「 アート 」の違いを説明するのによく「 デザインは問題を解決し、アートは問題を提起 する」と言われますが、STEAM の文脈のなかでも、 興味 ・ 関心 ・好奇心 に基づいて課題を見つけ、 STEM を活用して探求的に学ぶための その最初のとっかかりとしての「 A 」の役割のひとつなのかなと思います。

「デザイン」と「アート」。似ているようで、デザイナーとアーティストの考えかたにも大きな差があるんですよね。たとえば、アーティストは何か問題を「アート」で解決することを別に求めてはいないんです。「僕はこんな風に思っていて、こんな表現したい!」というものを、作っているだけ。一方で、デザイナーや建築家はたとえ予算が無尽蔵にあれば素晴らしいものが作れるかとう言うと必ずしもそうではない。要は制約が必要ということ。そして、制約があればあるほどクリエイティビティを発揮するんですよね。

ですから、“主体的”の代名詞としてのアーティストだけが正解というわけではなくて、制約があるなかでとんでもないクリエイティビティを発揮する建築家やデザイナーたちも、同じように重要。そして、適切にルールや制約を作り、能力を発揮できるような場を提供していくことも大切ですし、学校も本来そういうところだと思っています。

大きくカラフルなアート作品の前で質問に答える福武氏

急速に変化する社会に合わせ、 教育現場のアップデートが必要。

日本の公教育の問題は、 先生たちが忙しすぎることですよね。まずはそこを解決しないといけないのかなっていうのがひとつあります。さらに理想をいうと、一般論になるかもしれませんが、やはりフィードバックの機会を設けることです。会社員でもスポーツ選手でもさまざまな職業においてそうですが、人は自分が思っていることに対して、本当にそれが正しいかどうかを客観的な視点をもってどんどん改善していくことが大切ですが、学校の先生は極端にフィードバックがかかりにくい職業なんですよね。ただ、個人だけでは見えてこないこともありますから、長期に渡りデータを取りながらそれを教育現場に戻してあげるなど、社会全体としてサポートしていく必要もあるのではないかと思っています。

STEAM教育もそうですが、急激に世の中が変わっていくなかで教員の役割が変わらない、と言う事は有り得えないですし、もちろん教員に限らず、働き方の問題や、どのようにテクノロジーを生活や仕事に活かしていくのかなども含め、働き方自体や働き方に対する考え方、アプローチは相当変化が必要なのではないでしょうか。STEAMだけの流れを見ても、普段恒常的にテクノロジーに接している子どもたちに教えるということは、教員は子どもたちの数倍の理解や知識、経験が求められるはずです。つまり、子どもの数倍マインクラフトやローブロックスで遊んでいる教員がどれだけいるのか、と言うことになるかもしれませんね。子どもたちの数倍、理解が求められるはずなので。

さらに今後は、子どもたちはより主体的にもしくはインタラクティブに学べる方法を目指していくことになると予想します。そうするともちろん、根本的なことを全体に教えるのではなく、それぞれに合わせて適切に導いて行くことが必要になると思います。ですから、公立学校自体も、音楽が得意だったりスポーツが得意だったりなど、学校ごとに特色があり、子どもたちに多種多様な選択肢が用意されるようになればいいですね。

ベネッセが見つめる未来の教育と STEAM教育の在り方。

これまでも「教育」と「アート」のなかでベネッセは活動してきました。とはいえ、すべての対象を網羅する教育はできませんから、ベネッセがやる意味も考えたときに、非常に大きいボリューム層である中間層にいる個々にむけて、最適化していく教育プログラムを提供することで、子どもたちの背中を押していきながら、日本を良くし、人々の”よく生きる” を支援したいという思いで事業に取り組んできました。

しかし時代変化のなか、必ずしもそれだけではサポートしきれないものがあったり、この中間層自体が相当細分化もしてきています。そこで、本来あるべき教育は何か、こういう可能性もあるんじゃないのか、たとえボリュームゾーンにはリーチできずにビジネスとしては成立しなかったとしても、中間層以外に対しても模索していく必要はあるのではないかという話はしています。たとえば発達障害向けの教育や、スポーツ教育、そしてSTEAM教育に通じるアートに対する教育やプログラミングなど、一律ではないけれどもそれぞれにあるべき教育をサポートしていきたいと。

取り組み始めていることのひとつに、直島でのアートを通した教育があります。どのようなものかと簡単にいうと、ひとつの作品をみんなで鑑賞し、お互いの感想を聞きながら、さまざまなものの見方に気づきを与えるものです。僕もセッションに参加したことあるんですが、絵画の中の同じオレンジ色から受ける印象が、鑑賞者によって、戦争の悲しさと朝日のエネルギッシュさくらい違っていたりと、対話×フィードバック×質問のようなインタラクティブなセッションを通して、想像以上にいろいろな気づきを得られるんですよね。このように、アートと教育をつなぎ合わせながら子どもたちの感性を育む教育につなげられたらと思っています。

そして、多様な教育を通して、明るい人がいっぱいいる社会になるといいなと思っています。

“明るい人”というのは、いつも笑顔で元気というだけではなく、前提として社会というものは我々が知らないものがたくさんあるということを認識をしたうえで、人も社会も可能性は無限であり、好奇心を持ち続けながら未来に対して希望を抱いて動ける人がどんどん増えたらいいな、という意味です。

ですからSTEAM教育の重要性も本当にそうで。昔は一生に一回くらいの大きなトランジションにより世の中の変化を体験していたような時代から、今では5年とか10年単位と言うとても短期間で大きな変化を体験をしているわけですから。これからの世の中を変えていくための一丁目一番地が、STEAM教育の流れなのかなって思うんです。ですから、STEAMをやるべき、やらないべきという議論よりも、限りなく“あたりまえ”になっていくのではないでしょうか。

編集部あとがき

元文部科学副大臣・鈴木寛氏インタビューから続く特別取材シリーズ第二弾として、民間企業のトップランナーを走るベネッセホールディングスの取締役・福武英明さんにお話を伺いました。とても明快なお答えと、そしてお人柄の出る笑顔交えたインタビューで、とても時間があっという間に感じました。私たちSTEAM JAPANも、様々なステークホルダーと共に、STEAM教育を盛り上げていきたい、そう思った取材でした。